こんにちは。
子供のときは、
子供の気持ちなんてぜってー親になんかわからねえ。って思っていた聡亮です。
大人?になった今でも多少思っています。
ですが、その辺の子供の考えそうなことはわかっているつもりです。
でもわからないことの方がおおいかな。
人は、どんな人でも、同じ人間だから、
自分に酔って、他人の気持ちとかをないがしろにしてはいけません。
まして、見下したりなんかしてはいけません。
人は、集団生活の中で生活しているのだから、
他人に迷惑を掛けてはいけません。
だから集団生活の中にはルールがあります。
何故万引きとか人殺しとかをしてはいけないかというと、
ダメなものはダメだからです。
被害を受けたその人が、不幸せになってしまうからです。
なんで?じゃありません。
ダメなものはダメなんです。
してはいけないことはしてはいけないんです。
理由なんてありません。理由が無いって言うのが理由です。
むしろそこが教育です。
あ、
『酔っ払っちゃってたから。。。つい、、、今は反省している。』っていうのもダメです。
笑ったり、泣いたり様々なドラマがありますが、
そんなすばらしい人生って何なのかさえ、
わからないまま、
『人生』というものの定義を定めることができないまま、
人は死を迎えると思います。
僕の両親も、その両親もそうだと思います。
ただ、生きているんだったら、
呼吸して家に引きこもっていようが、
外に出て色んな人に影響を受けようが、自由です。
どうせ一度しか無いのなら、
ひとつでも多く、些細なことでも知って、
感じて生きていくことが、楽しい人生なのかなと。
ひとつでも多くのことに感動して、
綺麗だなとか。こうゆう世界もあるんだなとか。人生って楽しいんだな。とか。
感じないと。感じようとしないと。
それは活字による他人の経験を知ることでも、
自分が実際に人と話しり、見たり聞いたりする経験でも。
どちらでもいいですけど。偏りすぎるのは問題だと思います。
僕の場合、
結論を見て、そこに向かって走っていって着地したら、また着地点を見つける。
プロセスよりも最終地点に就いたときの感情を追い求めるケースが非常に多かったです。
なので、
プロセス上でリスキーなことや、最終地点に着地するために無駄だと思うことは、
すべてできるだけ除外するくせがあります。
頭の中で想定できることに対しては、
どんなことであっても感情を冷静に保とうとする性格である僕は、
本当につまらない人間です。
だから、
直そうと思っています。
些細なことでも感受性を持って生きて行こうと思います。
10km走って満足している場合じゃありません。
というわけで、
アルゼンチンが優勝して、
僕の夏も始まると。
聡裕子とです。
そうゆうことです。
以上。
では。