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静岡出身 里中ハル 新海元 久利生公平 沖島柊二 片桐哲平 瀬名秀俊 上田武志 誰よりも木村拓哉と静岡県清水市(現静岡市)と清水エスパルスと清水東サッカー部を愛す 気がついたら33歳


by sousukeid
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ジャッジ 人生の決断 中田英寿


こんにちは。
昨日は本当にびっくりした聡亮です。




もちろん中田選手の引退の件ですが。。。





号外出ちゃいますもんね。さすが。





僕が中田選手をはっきりと知ったのは、
1997年のジョホールバルあたりでした。
前年のアトランタオリンピック代表の時なんかは、
やっぱり前園でしたし、
それまでのA代表はやっぱりカズでしたから。



ただ、ジョホールバルの3得点全部絡んでいたのには、本当に衝撃を受けましたね!!
それからは皆さんもご存知。
ペルージャ開幕戦から始まる、セリエでの活躍。イングランドへの移籍。。。




以下いわゆる”中田英寿引退メッセージ”から。




“人生とは旅であり、旅とは人生である”

前略

・・・

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

・・・

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

・・・

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。


プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、
最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。


・・・

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

・・・

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。


これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”





月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり

松尾芭蕉

みたいですね。







いい文章すぎて、カットのしようがありませんね。
ブロガーとして生きていけるような気もします。




ただ、
彼もまた、確たる自分を持つ人間だったと。
本当にそう思います。
客観的に自分を見られる人間。中田英寿。
瑞々しい気持ちでボールを蹴りたいと。
メディアがどうこうだとか、周りのサッカー選手がどうこうだとか。。。
そんなんじゃなくて、自分のやりたい人生を生きる。
カッコイイです。







彼が日本サッカー界の永遠のヒーローの一員であることに変わりはありません。








大好きな選手でした。
本当にお疲れ様でした。






彼のようなスーパージャッジを、僕もしてみたいものです。







以上。











では。
by sousukeid | 2006-07-04 09:19 | スポーツ